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タレントの時代

「タレント」の時代
酒井 崇男

プロローグ

世の中には抜群に優れた人がいる。いわゆる「タレント」と呼ばれる人である。問題処理能力が優れているのは当然だが、自分で問題をどんどん見つけて解決してしまうタイプの人。天才と言ってもいい。

日本企業は、知識から利益を生み出してきた。元々天然資源を持たず、人件費の高い日本企業が成功するには、言われてみれば確かに、知識を利益に変換する以外に良い方法はないはずである。

豊富な知識を持った優秀な人材ばかりだった。それなりに知識は生み出している。しかしさっぱり価値を生み出せない。

知識や才能を元に価値を生み出す人達や、そうした人達を組み合わせてさらに大きな価値を生み出す組織に関する、「人材論」と「組織論」は、まともに説明されずに、今日まできてしまったのである。日本の場合は、現在、完全にこうした種類の人材と組織の成果次第で、企業も国も競争力が決まる時代になっている。

元々彼らは、日本経済を支える気概で仕事をしてきた人達である。実際に、その会社は他社もうらやむ優秀な人材と、技術と、かつては資金も持っていた。本来は、それらを世界市場での売上と利益に換えるのが、その事業部長の役割だったはずである。

なぜアップルやグーグルやトヨタは成功し、なぜ日本の電気・半導体・通信・ITは完敗してしまったのか。
それは、まさに、売れるモノやサービスを生み出す「タレント」とは何かを理解し、価値を生み、利益を生むとはどういうことかを理解していたか否かの違いだけである。
技術の新規性とか資金とか工場で製品につくりこむ品質の問題ではない。日本人は優れているので、そうしたものはもはやボトルネックではない。

50年前の世界とは、一見何も変わっていないようで、私達の生み出している付加価値とそれを生み出すハタラキの関係は、完全に別ものになっている。そうしたいわば「地殻変動」の理由を探ってみたのが本書である。

第1部 タレントの時代

日本の誇る「品質」も韓中に追いつかれる

かつて、日本の工業製品と言えば、「メイド・イン・ジャパンの品質」が代名詞だった。ところが、現在はどうだろうか?結論から言ってしまえば、製造品質に関しては、すでにどの国でつくろうと大した差はない。

製造工程における日本的品質管理の手法は現在、世界標準になっている。これは1980年台以降、海外の人達が日本企業の品質管理を研究・調査した成果である。

実は韓国からフェリーで30分程の場所にレクサス九州という工場がある。日本のレクサス基幹工場である。しかし、韓国の消費者はレクサス九州が製造した関税がかかる商品ではなく、米国の工場で生産したレクサスを買っている。言うまでもなく商品は同じだからである。

四兆円の研究開発費はどこに消えたか?

確かに日本企業には、技術も人材も資金も揃っていた。ところが、グローバル市場での競争になった途端、目も当てられないレベルで日本勢が負けてしまった。現在、世界市場における日本企業の存在は無視できるほどに小さい。OSもデータベースもアプリケーションも、業務ソフトも、検索エンジンもSNSも世界市場を獲得したのは、すべて米国の製品とサービスである。最近ではやはり中国・韓国にすら負けている。なぜだろうか?

NTTは有線通信事業では事実上、国内市場を独占している。そのため経営的にはいまのところ困らないのだろう。しかしNTT社内で仕事をしている”優秀だったはず”の人材が世界市場で受け入れられるような「新製品・新サービス」を生み出すことが全くできなかった。NTT一企業としての利益はともかく、こうした事実は国家的には大損失である。歴代の社長と管理者達の責任は大変大きい。

NTTの罪

かつて米国政府は、財政難の時代にNASAの予算を削減したことがある。その際多くのエンジニアや研究者が解雇された。当時は博士号を持つ世界的な研究者達がガソリンスタンドでアルバイトをしていることがあったという。しかし、リストラされたエンジニア達が現在成功しているITの企業に再就職し、その後の企業発展の中心となっていった話は有名である。

そう考えると、NTTの監督官庁である総務省は、なぜこのようにNTTを放置してきたのだろうかという疑問が湧いてくる。

元々、ものつくりの出発点であるはずの、世界各地の市場ニーズに関する情報を集める仕組みを十分に持っていない。会社によっては、営業といっても御用聞きや接待機能しかない場合もあるという。つまり彼らは、「何を」つくるべきかを調べるための情報収集機能を組織として持っていないわけである。

リストラされる優秀な技術者

現在、市場競争は世界規模で行われている。つまり、企業業績を見るときには、「自社の製品がグローバル市場でどれだけマーケットシェアを獲得できたのか」という視点で評価するのが一般的である。それは、グローバル市場でトップクラスのシェアを獲得できなければ、十分な利益を上げられず、企業そのものの存続が難しくなるからだ。

トヨタ生産方式では、「売れるモノを売れる時に売れる数だけ」生産する。ということは、「売れるモノ」が完成していなければ、彼らの職場である量産工場すら建設されていてはいけないはずだ。また「売れるモノ」がなければ工場内の高価な製造設備もソフトも導入する意味がない。もちろん、在庫も仕掛品もつくってはいけない。

世界的権威もリストラされる

エンジニアと研究者も工場関係者同様、目的と手段が逆になっている。そもそも技術開発や研究開発は利益を生み出すための手段ではなかったのか?このように大量の社員がリストラされた負け組企業では、不可思議な価値観がはびこっているのである。

その結果、当然売上も利益も上がらない。そこで、昼休みに消灯したりして全社一丸となって「懸命にコスト削減」に取り組んでいる。本当に不思議な世界である。社長や事業部長は寝ていたのだろうか?

売れるモノがなくて壊れる企業・経済・社会

企業は、売れる商品・サービスを生み出さなければ個々の人材がいかに優秀であろうと意味がない。個々の人材が、いくら高学歴で知識を豊富に持っていようが、日々一生懸命仕事をしていようが、高品質な製品を製造しようが、技術に新規性があろうが、すべてが、ムダになる。結局企業は「消費者が魅力を感じて実際に買うモノやサービス」を生み出していなければ、そうした人材・技術・設備などの経営資源にハタラキがあったとは言えない。

大量生産時代はとっくの昔に終わっている

現在のフォードは、トヨタ同様「売れるモノを売れる時に売れる数だけ」生産している。つまり売れるモノがなければ、一切生産されない。フォードでも、本当に顧客のニーズにマッチする製品が開発できたあと、お客さんから注文が入って、はじめて工場が稼働する。

「売れないモノをつくるのは犯罪である」

モノがあふれているいま、「ニーズのないモノ」を大量生産する工場は誰にとっても、いい迷惑である。貴重な資源のムダ使いでもある。
それなのに特に工場出身の社長には、いまでも工場の稼働率や工場労働の生産性を最重要な指標にしている人が多い。

現在成功している企業は、「どう」つくるかは生産技術が確立されているので、「何を」つくるか、という工程に莫大な資金を使っている。そして、売れるモノができてからはじめてトヨタ生産方式で生産をするわけである。

本来の「品質」の定義

もともと日本では、「品質」とは、買い手のニーズを製品やサービスがどれだけ満たせているかという程度のことを言っていた。つまり、品質は工場内で完結する話ではない。

企業の対象は世界中

いまやKAIZENは世界で通じる日本語の一つである。業務改善とはムリ・ムダ・ムラを省いて、最小の費用で最大の成果を得られるようにする考え方とその仕組みのことである。

プロダクト・モデルの誕生

1980年代半ばには、同社の技術部門では、実物と情報が1対1に対応するデータ・モデルをコンピュータ上で扱うのが当たり前になっていた。

プロダクト・モデルとは、いま述べたようなトヨタの社内システムを上位概念化したものである。これが現在広く使われているPDMシステムの起源だと言われている。

製品開発で稼ぐ時代

1980年代、バブル経済における円高で、日本人の人件費は高騰していた。そこで、経済的価値のある「プロダクト・モデル」を国内でつくり、海外に販売することで稼いでいくことができるのではないかという提言をする人達がいた。

アップルが生み出しているのは、プロダクト・データである。アップルはメーカーだが量産工場は持っていない。カリフォルニアの本社でつくられたプロダクト・データは中国の製造請負メーカーに渡され製品が製造される。一番儲けているのは、もちろんアップルである。

ものつくりの本質は設計情報をつくること

グローバル化・デジタル化し、情報化した現在は、設計情報が世界中の工場で、「売れるときに売れる順番で実際の商品に変換されて」お客さんに届けられている。つまり、お客さんが買っている肝心の価値は、工場で生産する以前の、設計情報なのである。

知識や情報を活用した、いわば「情報創造労働」が、先進国で働く人達の実質的な労働なのだ。それは同時に、先進国の企業活動そのものでもある。

サービス業も本質は設計情報

デザインのおかしいミッキーマウスや、挙動不審のミッキーマウスはディズニーの世界観を壊す。そのため、そうならないように厳密に標準化され、管理されている。夢の世界はすべて標準化された設計情報を元に日本の施設で展開されている。

スターバックスは、出店して成功すれば店舗を増やし、逆にお客さんが入らなければすぐに撤退している。スターバックスが所有している最も重要な試算は、「ノウハウ」などの無形資産であって、各店舗の設備や不動産といった目に見える固定資産ではない。設備や不動産は利益を上げるために必要なら調達し、不要になればすぐに処分する。

スターバックスの顧客体験を各店舗で展開するために、必要かつ十分な設計情報は、米国の本社でつくられている。実店舗と全く同じ設備で顧客体験が「量産試作」されている。製造業と同じく”実体と設計情報が一対一”の状態がつくられていることになる。完成した設計情報は各店舗に配備される。

先進国の富の源泉は設計情報とノウハウの創造である

川崎重工は自社では設計・開発せず、米国の航空機メーカーが設計・開発した戦闘機の設計情報を受取、国内工場で生産してきた。

特に天然資源に乏しい日本にとっては、現在唯一の富の源泉だと言っていいだろう。言うまでもなく、今日、グローバル市場で成功している日本企業は、優れた設計情報を作り出すことに成功している企業である。

先進国企業が生み出している三つの情報資産

魅力のある商品・サービスを開発する活動を通して試行錯誤する中で、企業にも個人にも知的資産が蓄積されていくという関係にある。

設計情報・ノウハウと、それを理解できる頭脳を持つ人材の三つが揃えば、いつでも現物の商品をつくりだすことができる。労働を通して私達が生み出したり、売ったり、買ったりしているモノとは、本質的にはこうした情報そのものなのである。

いまの企業の最重要課題

一般的に、商品開発・製品開発は、強力なリーダーシップを持った少数の人達を中心として進められる。設計情報の質を決めることに、決定的な役割を果たす少数の人達がいるのである。

消費者のニーズに合致する情報財をつくりだす労働は、最初から答えが与えられているわけでもない。つまり誰がやっても同じ結果が得られる質の仕事ではない。
そして現在、企業活動の成果のほとんどは、彼らのアウトプット次第で決まってしまう。

そうした個人、すなわち「タレント」と、タレントを見出し、組織的に彼らを活かす仕組みをどうつくるのかが、現在の企業における最重要課題だということである。

「タレント」と「変な人」

いわゆるプロフェッショナルは、期待される成果は最初から決まった状態であることが多く、スペシャリストは特定の分野にただ詳しい人というイメージである。一方、優れたタレントは、それ以上の人を指している。つまり、タレントは、プロフェッショナルやスペシャリスト達を使って、「質的に異なる意味のある新しい何か」を生み出す人である。

タレント人材の奪い合いからタレント中心の社会システムへ

グーグルというと、技術の新規性やビジネスモデルの革新が、成功の原因だと思っている人が多い。しかし実際のところ、新規性という観点で言えば、グーグルには、個々の技術にも、ビジネスモデルにも新規性はない。世界中の研究者は、草創期のグーグルを若干軽蔑気味に評価していた。それは、技術そのものは、昔から知られている凡庸なものばかりを組み合わせたものだったからである。

人材の質やレベルだけを単純に比較すれば、グーグルよりも、日本企業で優れている会社はいくつもある。だが、日本企業に足りないのは、目的的に活用するための、人材に対する考え方と人材を生かす仕組みである。
グーグルの新規性は、世界レベルのエンジニアなど、目的的に人材を獲得し活用した点である。米国の会社には珍しく、労働者を資産と考えていたのが革新的だった。それ以外の新規性は、ランチタイムにマグロの解体ショーを行っている無料の社員食堂くらいである。

タレントを買うために企業買収

アクイハイヤーとは、有能なタレントを獲得する目的で、タレントが創業したベンチャー企業を買収することである。つまり有能なタレントと彼らが開発したコンセプトや製品を丸ごとカネで手に入れるわけである。

アクイハイヤーのぜひには議論がある。アクイハイヤーはいわば、青田買いのようなもので、産業全体の発展を阻害するからである。だが本書では、その善し悪しは議論しない。グーグルはトニー・ファデルが将来生み出す可能性のある価値を評価して、三二億ドルを支払っているということが重要である。

企業単位で見れば、単に優れたタレントを奪い合っているように見える。しかし、シリコンバレーという地域単位で見れば、実はタレントを中心に富を生み出す社会をつくっていると見ることもできる。

しかし、人材と金融があるだけではうまくいかない。決定的に重要なのは、タレントを発見し、生かす仕組みが理解されていることである。こうした動きは最近、一部の日本企業でも見られるようになってきた。

第2部 タレントとは何か

設計情報の創造と転写

人間の労働とは、商品や資産として価値のある「情報を創造」したり、価値のある「情報を転写」したりすることなのである。前者は「創造型労働」、後者は「転写型労働」というわけである。

生産の中心が人や家畜の肉体労働だった時代には、生産システムについて、今日的に明らかに重要な経営資源である知識や情報を明示的に考慮しなくてもよかったからである。つまり、目で見たままの世界をモデル化していれば現実の生産活動を記述することはできたのである。しかし、生産技術が確立され、知識や情報が付加価値創造の中心になった現在ではもちろん時代遅れである。

生産システム、つまり情報の転写についての説明はできるが、本質的に価値と利益を生み出している製品開発、つまり情報の創造部分の説明はできない。これでは今日の企業の活動とそこにいる人間の仕事を捉えることはできない。

設計情報創造論と転写論

世界中の顧客を相手に商品を企画し、設計し、販売するつもりなら、世界中から情報を集めることになるだろう。これらの情報も組織が持つべき貴重な「情報資産」である。わざわざ世界中の情報を苦労して集める仕事をしている人達はたくさんいる。彼らのアウトプットは貴重な「情報資産」である。

研究開発・技術開発の方針・方向性に関しても、ある日ハタと思いついて決められているわけではない。ボトムアップで勝手に「創発」されているわけでもない。研究開発とは、三年後でも、五年後でも、10年後でもよいが、将来生み出される設計情報やノウハウに使われることを目的に行われる。

「仕掛情報資産」の資産性を洞察できなければ、研究開発の方向を決めることは難しい。特に技術系の会社では、経営者が技術の資産性・経済性を洞察できなければ、会社自体を経営することが難しい。技術に詳しくても経済性との関係を洞察できなければならないし、反対に経済性に詳しいばかりで技術の知識がなければ、将来実価値にもとになる無形仕掛品の資産性を洞察・判断できない。

定型労働と非定型労働

設計情報を転写するタイプの労働は、100年前の工場労働と本質的にはあまり変わっていない。働く場所がディズニーランドでも、スターバックスでも、オフィスでも工場でも同じである。

知的労働にも定型労働と非定型労働がある

士業の労働では、創造性は法律違反になることもある。例えば、創造的な決算書を作成して独創的な税務申告を行う税理士は、そのうち警察のお世話になる。税理士の仕事は、知識を伴うが、定型的でなければならないのである。

定型的知的労働・創造的知的労働の割合

わかっていることを繰り返し間違いなく転写する労働をしている人達は、労働者として大きな経済的付加価値を生み出しているわけではない。むしろそのような労働を削減するために頭を使うことが、先進国の労働者の仕事である。

先進国の生み出す価値と創造的労働の関係

企業などでは、先輩などの先人の生み出した「ノウハウ」を理解して、ただ漫然と転写しているだけでは、製品の差別化につながっていかない。創造的知的労働や非定型労働が、企業の競争力をつくっているのである。

職務経歴書に書かれていること

企業にとっても資産だが、個々人の頭脳に残る蓄積は、個人にとっても大事な知的資産である。

異動や昇進、職務上の面接や転職といった際に、まずチェックされるのは、こうした、「何をやってきて、何ができる可能性があるか」というAの質である。「資産」的タレントか、「費用」的ワーカーかは、この中身の質を評価して判断する。

同じ職人やテクニシャンであっても、一度覚えた技能を一生繰り返している人材と、新たな技能を次々と編み出していく人材では、全く価値が異なる。前者はワーカーであり、後者はタレントである。

人材のケイパビリティ

人材を上手に活用するには、適切なストックを持った人材を、効果的にフローが生み出せるポジションにつけること、つまり価値を生み出せるポジションに割り当てる必要がある。これが「マッチング」である。

組織論では、「企業に蓄積される組織能力」のことを、「ケイパビリティ」と呼ぶ。ケイパビリティは漠然とした概念で、企業特有の強みのようなものとされている。企業競争では、ケイパビリティを備えることで、競争企業に対して差別化を行っている。

つまり組織能力であるケイパビリティは、ストックである。ケイパビリティは、企業価値では無形資産として、金額で評価される資産である。

人事評価の基準

例えば同じ組織内でも、「定型労働」と「非定型労働」、あるいは「転写型知識労働」と「創造的知識労働」では、人事評価の基準と給与体系も変わってくるのが普通である。
定型労働は、決められたことを間違いなく性格に行うことに価値がある。つまりそれ以外のことはしてはならない。決して失敗があってはいけない労働である。
一方、創造的労働は、試行錯誤の連続である。場合によってはほとんど失敗だと言ってもよい。創造的、改善型労働をしている人達は失敗するのが日常でもある。彼らを、その都度いちいち処罰していたら、そのうち誰も創造的な仕事などしなくなる。

生産性をどう考えるか

こうした創造的知的労働は、優秀なタレント層の人材を必要とする一方で、一般的には、リスクは高く、能力的に誰もが行える仕事というわけでもない。しかし、全員の命運が彼らの成果に依存している。しかもその質を生み出すことのみが、先進国である日本が生きる道なのである。だから、最も優秀な人材に、こうした仕事を割り当ててきたのである。

実際に、トヨタのようにグローバル市場で成功している企業では、定型労働を駆逐し、非定型労働率を高める努力を営々としている。また、優れた設計情報をつくりだすためのタレントを生かす仕組みを60年以上、制度として運用しているために、大成功している。

知識は目的か手段か

優れたタレントは、知識にせよ職業にせよ、「目的」を達成するための「手段」だと考えているところに、際立った特徴がある。そのため、タレントは目的的に知識を獲得し、獲得した知識を手段として使う。
結果的に、優れたタレントは、一つの分野の専門家に留まっていることは稀である。タレントは、もともと知識を手段だと考えているので、目的を達成するために、新たな知識が必要なら次々と自分で獲得していくからである。

知識の構造

創造性や非定型性とは、目的的に「組み合わせる」力である。つまり知識を組み合わせることで、これまでにない価値を生み出すことである。

目的を達成するためには、まずは、組み合わせる対象の知識を広げる能力が必須になる。「知識を獲得する力」の強さがタレントの必須条件なのである。この「知識を獲得する力」のことを「地頭」と言う人もいる。

知識をセグメント化する

応用分野の知識が企業で追求されるようになった現在では、「価値のある知識」という意味では大学は不利な部分もある。つまり「本当の先生は誰か?」ということである。大学にせよ、企業にせよ、そのあたりのオジサン・オバサンにせよ、最も正確で、最も実用的な「価値のある知識」の集積を持つ人が最も先進的である。

重要なのは知識獲得能力

「創造」というからには、まだ存在しない新製品やノウハウをつくりだすことである。すると、こうした既知の知識では足りないときがある。そのときに、知を拡張していく能力が必要になる。つまり「知識獲得能力」が必要になる。

同じ情報を手に入れても該当領域に関する知識がなければ、その情報を自分の頭で理解できない。だから学習し続ける必要があるのである。

アナリシスするには、その知識領域がアナリシスする価値があることを理解できなければならない。ボトルネックを発見し解消するなど、目的を達成するための答えを、行ったり来たりしながら探すのである。目的を達成するために、必要な知識を獲得しながら試行錯誤を繰り返す。そのためには自分自身で行動し、実験し、学びながら進む人が多い。

第3部 タレントを生かす仕組み

B級人材の心理

「B級人材はC級人材を採用する」
「A級人材はA級人材と知り合いである」

結局タレントはタレントを採用する。A級人材はA級人材と仕事をすることで、自分の価値を高められることを知っているからである。たとえ仕事がつらく大変だとしても、優れた人材と仕事をするのは、ストレスがなくて楽しめるからである。

組織内で皆が暗黙的に優秀であると一目置いているタレントがいたとしても、B級人材が上司やトップであれば、できる限り出世コースからはずすように、上手に手が打たれていることもよく見られる。こうした政治的な技術は、ほとんど芸術の域に達している人もいる。それは、彼らなりの彼我の差を理解した上での賢い策略である。

こうした人材の人数が増えていくと、今度は、「和を尊んで、大リストラ」という結末になる場合がある。実際、そうしたケースに陥る日本企業は多い。ちなみに、こうした現象は、海外の企業で目にすることはほとんどない。

MBAが役立つ業種、企業は限られる

企業活動の「結果の数字」ばかり見て、とやかく意見はするが、肝心の「結果を作り出すプロセス」については、知識も能力も興味もない人材が育成されてしまっている。つまり金がかかる割に全く役立たずだというわけである。これはMBAのプログラム自体が悪いというよりも、肝心の経営学が時代に合わないために起きている問題である。設計情報の質を生み出すことが決定的に重要なビジネスでは、現状の経営学は全く役にたたないどころか有害ですらある。

米国式経営を進めて大失敗

消費者がソニーに期待していたことは、これまで、すべてアップルが先に形にしてきた。ソニーは当初、コンテンツも端末技術もコンピュータ技術資産も、資金も人材も持っていた。しかし、コンテンツを消費するための、統合した製品やサービスを実現したのはアップルである。

ソニーは、教科書的にはすべて「正しかった」はずの施策を真面目に実施した結果、消費者が、発売前に行列をつくってまで買いたくなるような、魅力的な商品を生み出すことはできなくなった。

面白い価値の探索は、「価値」と「実現手段」の双方を、ひとりの頭脳の中で理解できるタレントでなければ不可能である。経営のプロでは、到底能力的に経営できない。

時代に合わない米国式経営

じつは、私が本書で述べてきたような設計情報やノウハウ創造を、元々組織的に行ってきたのは、米国企業ではなくて、一部の日本企業である。
本来は、日本発の経営学が日本人の手によってつくられて、世界の人に教えられていなければいけなかったのである。残念なのはそうした経営学が、日本発で、日本企業向けに体系化されてこなかったことである。

スティーブ・ジョブズはあこがれて尊敬していた日本と日本企業に学び、コンピュータとモバイルデバイスの分野で、日本を超える世界的企業をつくった。日本の謎を理解したのはジョブズである。

「ソニー化」しないために

何をつくるか決めるところが現在は重要なのに、関連のあるカテゴリーのビジネスを最初から細かく分けているのでは本末転倒である。各分野のタレントや情報資産にわざわざ壁をつくり、ライバルに各個撃破されやすい状況を自ら招いている。
安易なカンパニー制や事業部制は本当の意味での経営から言えば、経営責任の放棄に近い。結果のチェックなら誰でもできる。経営者が経営の枝葉末節部分を担当していることになってしまう。

ソニーが復活するには、創業者と同じレベルのケイパビリティを持った強烈なタレントを見つけてトップにするか、タレントを生かす仕組みを導入することである。
その仕組みを半世紀以上前から運用し、世界のお手本になっている会社がある。それが日本のトヨタである。トヨタの主査制度は、タレントを見出し、活用する仕組みである。

トヨタはトヨタ生産方式で儲けていない

トヨタの場合、利益の95%以上は、設計図面に線を引き始める前に計画、設計されている。それが「原価企画」のプロセスである。コスト意識の強いトヨタでは、利益を上げられる状態の原価企画が作成されない限り、製図作業すら開始しないわけである。

トヨタ生産方式の目的は企業の運転資金の最小化である。また、工場などで行われる地道な業務改善は、利益を上げるためだけではない。そこで浮いた資金は、商品性の工場や、技術開発の資金に回されている。当たり前の話だがトヨタが儲けるのは、商品が売れるからである。

買い手の真の要求を探り、設計情報を創成し、生産し、商品をプロモーションし、販売する、すべてのプロセスで責任を持っているのは、トヨタでは主査である。担当する商品の販売量・シェア・利益に責任を持つのはこの車両担当主査である。主査とその周りにいる、いわば主査の卵のような人達は、本書で紹介した優れたタレントの要素を持った人達である。そうでなければ主査の役割をこなすのは難しい。

トヨタの主査制度は、単なる組織の形態を論じている組織論ではなく、人材のタレント性にまで踏み込んだ上で運用されている制度なのである。

主査は、その役割上の特徴からオーケストラの指揮者にたとえられることがある。なぜなら、主査は自らの開発担当車種について、すべての部署と連携を取りながら仕事を進めるからである。

トヨタの主査は、各部署に方針・指示を出すことはできるが、各部門担当者に対して人事権を一切持たないという。主査の言うことが間違っていると思えば、各部署のたんとう者は従わないことがある。その場合は主査が説得に努めることになるのだが、そもそも、自分よりも実力のない人間の言うことを「はいはい」と聞く人はなかなかいないものである。

組織の横串機能ではない

では、他社がトヨタの主査制度を見習えば、すぐにうまくいくのかというと、残念ながらそういうわけではない。制度はあくまでも制度に過ぎないので、やはりその制度の中で活躍するタレントがどういった能力を持った人物かということが、最大の問題となる。

製品開発と研究開発の関係

具体的な研究開発テーマは、設計部門などから技術企画室や製品企画室に対して自主的に提案されるケースも非常に多い。トヨタの研究開発活動は強力なニーズ志向である。

日本に限らず、民間・国立ともに多くの研究所は、巨額の予算をかける割には、なかなか成果を出せない。それは、応用先を想定せずに、単なる学術的興味に任せて、野放図に研究を行っているケースが多いからである。目的がなければ、人間は知恵が出てこない。無目的には創造できないのである。

「死の谷」の言い訳

NTTの研究内容を見る限り、「死の谷」も何も、最初から実用化を想定していない。どういったニーズがあり、その研究に予算がついているのかさえはっきりしない。そうした情報の流れが、組織図を見る限り見当たらないからである。研究されているものが、いつ頃商品化されるのか決まっていないそうだ。

事業部のニーズに応えるため、ショックレーらのチームは半導体を研究し開発に成功したわけだ。

米国人が知っていて日本人が知らないトヨタ

トヨタは日本よりも米国で詳しく研究されてきた会社である。少なくとも現状では、実務家を中心とした一部の米国人のほうが、ほとんどの日本人よりも、トヨタについて詳しい。なぜなら、トヨタ流の企業経営方式の採用が、今日シリコンバレーで成功している企業の秘密だからである。

米国人の特徴は調査能力にあり

日本に自分たちの地位が脅かされると、アンチ日本のキャンペーンをする一方で、日本を徹底的に学ぶ。それが米国のしたたかさかもしれない。
米国は1980年代に日本の製造業に惨敗した。特に、米国の国力の象徴とされていた自動車産業が日本企業に完敗した。

「米国は自動車では負けたが農業では勝っている。日本の農業は怠慢だ。十分に働きもせず政府に補助金ばかり要求している。しかし、米国の農民は勤勉だ」などと言っていたのは有名な話である。そして「勤勉で有能な米国人は、日本の成功に学び、いつか米国は自動車産業だけでなく、あらゆる業界の産業競争力を取り戻す」と豪語していた。

米国人は競争に負けると、表面的には、訴訟を起こすなど妨害をする。この特徴は、草の根の個人でも会社でも国単位でも同じなので、一種の文化である。しかし、その本来の目的は、たいていは時間を稼ぐためである。米国人は、勝負に負けたときには、内心は負けを素直に認め、謙虚に相手の強さに関するノウハウを徹底的に調査・研究する性質がある。非常に謙虚な人達なのである。

製品開発方式の伝達

1980年代までは、フォード式の大量生産方式に対して、なぜトヨタ生産方式が優位なのか、英語圏の人達は理解できずにいた。トヨタ生産方式は大量生産方式ではないのになぜ原価が下がるのかが「パラドックス」とされていたのである。

MBAでは知的基盤が薄弱過ぎて能力的に難しいし、また、単なるシステム設計の専門家でも十分ではないからである。長谷川氏の言うように、主査の役割は、一人の頭脳の中で、完結されなければいけない。「価値の世界と、実現手段の技術の世界」が一人格の頭脳の中で完結されなければいけない。

リーン・スタートアップ

最近シリコンバレーで、「リーン・スタートアップ」や「リーン・ローンチパッド」「デザインシンキング」などと言われているものは、アレん・ウォードらが調べたトヨタの製品開発手法がそのルーツである。

「リーン・スタートアップ」は、言ってしまえば、主査制度における製品開発のプロセスの中で「商品計画」から「開発構想」段階くらいまでを、どう進めるかという話である。開発構想に至るまでの情報収集と試行錯誤のプロセスを著者の独自解釈で解説している。「売れない製品を開発するのが最大のムダ」であることがきちんと紹介されている。

グーグルとアップルの取り組み

グーグルでは製品の種類が多いので、トヨタと同じマトリックス組織のようになる。そして、各製品ごとに、主査に相当するPMと主査付に相当するAPMがいる。PMは、マーケティングや法務や財務や各技術分野のエンジニアなど、開発スタッフの中心であり、製品に関するすべての責任を負っている。

グーグルでは創業期に、このPMの中途採用に苦労していた。そのために、株式上場後は採用戦略を切り替え、アクイハイヤーを行うようになった。PMの役割をこなせるタレントを彼らの創業した会社ごと手に入れるように切り替えたのである。

トヨタでは、主査が所属する製品企画室の室長は、技術系の役員が兼務する。グーグルの場合は、PMの上司は、こうした製品担当のSVPもしくは創業社長のラリー・ペイジである。
技術力や原価低減力を重視するトヨタと同様に、技術力を重視する社風のグーグルは、主査の人選は本質的には似ている。創造的知的労働ができるエンジニア達の中心から、製品開発担当者としての適性がある人材を主査に選んで組織をつくる。そして主査を中心に開発を進めている。

米国に学ぶ日本

最近は、トヨタ発の経営手法が、はるばる米国を経由して日本で学ばれるようになった。残念な話ではあるが、これが日本の現実である。
「リーンスタートアップ」や「リーン製品開発方式」をありがたがって読んでいる企業家は情けない。オリジナルは日本にあるのである。

リーマンショック前後に、私は、気の毒な人達をたくさん見る羽目になった。グローバル市場競争が当たり前になった現在では、優秀で真面目な人達の会社や職場が、あっという間に簡単に消滅するのである。彼らにも家族がいる。やはり、産業が国を食べさせるのである。くれぐれも「教科書」を間違えないことである。

シリコンバレー方式の死角

ソフトウェアやソフトウェア・サービスのように、長期的な研究開発が不要な分野とはいまのところ相性が良い。ソフトやサービスは、アイデア次第で成否が決まるところもある。短期的に情報財をつくりだし、市場を開拓するには、一つの合理的な方法として、うまくいっているようである。


### 金融側の中心となるタレント

彼にとっては、工業会計や管理会計などは間違っている、意味のない学問だったからである。そのために銀行出身の役員と大いにトラブルを起こしていたという話である。しかし正しいのはその役員ではなく、大野耐一氏だったことを今日では世界中の人が知っている。

そうした優れたタレントを引き上げ、ハタラキを引き出したのは、経営者である豊田英二氏である。経営者自信が、「わかる人はわかる」人だったからである。つまりキーは豊田英二のタレント性である。大野耐一、長谷川龍雄、中村健也の後ろ盾で、彼らの仕事を守り、応援したのは、豊田英二というタレントである。トヨタの場合、結局、金融の役割を、本質的に豊田英二が行っていたのである。

元々、タレントとタレントを生かす仕組みを意識的につくってきたのは日本人であり、それを壊すことを「ソニー化」と定義してもよい。


## エピローグ タレントを動かす目的意識

目的意識は、「真の基礎」の部分で形成される何かである。また、「真の基礎」を形成していく中でも、生まれ持った素質や才能がもとになっている部分も関係していることは間違いない。

目標が達成されたとき、または目標に近づいたときに、おそらく大いに満足感を感じているはずである。それが最大の報酬であると言う人もいる。
つまりタレントは公的な目的を達成すると同時に自己実現もしている人達である。
誰かに評価してもらうとか褒めてもらうとかお金が儲かるとかいうよりも、自分自身で勝手に設けた基準を突破したときが、自分にとっての誇りや自分の存在・アイデンティティの証明だと言えることをしている人といってもよいかもしれない。

盛田昭夫氏の「MADE IN JAPAN」を読むと、長谷川氏と同じような気概を感じる。このような目的意識、自分の証明といったことがタレントの魂のようなものである。

何を生み出すにしても、安易に組み合わせたとか、上辺だけ形を合わせたとか、数字的に帳尻を合わせたとか、利益が出るように妥協したといったことは、こうした優れたタレントと正反対の事柄である。

結局、タレントが、自己の証明のために持っている基準や価値観、強烈な目的意識が、消費者の心を動かす商品もブランドも、つくりだしてきたのではなかろうか。
製品であれ、サービスであれ、人間が、人間のためにつくっているものだからである。

おわりに

アベノミクスの第三の矢は、政府や日銀のもつ能力では原理的にどうにもならないのである。第三の矢に関しては政府や日銀は主役ではないということである。

円安に振れたとはいえ、日本人の平均給与はグローバル市場では高額な状況が続いている。これは、すべての日本人が、報酬に見合う、創造的知的労働・非定型労働をしなければソロバンが合わないということでもある。つまり、一つ、二つ上の役割へ移っていくように、より高度なハタラキをするように、人事的なインセンティブをもうける必要があるということである。

タレントのハタラキは、誰でもできる種類のものではない。教育でつくれるわけでもない。アップルやトヨタがそうしているように、タレントを認め、応援する組織風土、地域風土、国の風土をつくっていかなければ未来はない。
特に負け組企業について言えることだが、いつの間にか日本人には、なにもかも全員同じという感覚が無意識のうちに醸成されてしまっているようである。
しかし、本来日本はそういう国ではない。日本は、世界に誇る優れたタレントを輩出し世界のお手本になってきた国である。スティーブ・ジョブズの教科書は日本人のタレントと日本企業だったのである。

日本以外の国では、個人の違いを認めないということは、全く妙な話なのである。しかし、日本と日本人にとっては、特に個人の能力の差を認めることに嫌悪感に似た感覚を感じる人も多いようだ。
しかしそれは、日本人本来の「和」の意味を履き違えた感覚である。「堕落した和」「甘えの和」「無責任の和」と言ってもよいかもしれない。