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トヨタの強さの秘密

トヨタの強さの秘密
酒井 崇男

序章 トヨタを知らない日本人

「リーン」とはトヨタのこと

世界中から集まった聴衆が、真剣なまなざしで私の解説を聞いていたことは、後から主催者に聞くまでもなく、演者の私にも伝わってきた。
というのも、私が解説した内容が、彼らの言い方での「リーン開発」を論理的に説明するための「残された問題」だったからである。

デザイン・シンキングも元はトヨタ

ソフトウェア系のベンチャー企業で、デザイン・シンキングやアジャイル、XP、スクラム、カンバンと呼ばれているものもすべて、リーンの考え方の派生である。また最近日本で聞くようになった。デザイン・シンキングもまた、リーン開発に強い影響を受けている。

オリジナルのトヨタのように、制度の運用技術や、主査を支える組織文化、また固有技術そのものの蓄積が成熟していない会社では、主査の個人的な能力に、会社の業績が大きく依存することになる。つまり、「誰が」主査をやるか、どういう要件を満たしている人材が主査を担当するかが、決定的に重要になる。つまり主査制度を定着させるためには、組織の形だけではなくて、創造労働や創造的知識労働をする人間の「人間系」をうまく説明する必要が出てくる。だからこそ、そこが各社でいちばん知りたい部分である。

主査制度+直接金融=シリコンバレー

これまでトヨタの経営陣が、会社として製品の社長である「主査」に人材も資金も設備も投入してきたように、シリコンバレーではベンチャー・キャピタルが優秀なプロダクト・マネージャーを発見し、彼らの周りに資金と必要な人材を投入することで成功してきたのである。それがシリコンバレーの地域と企業成長モデルに他ならない、ということは前著で述べた通りである。

主査型CEOの要件

主査型CEOは、リーン開発の研究者の言い方をするならばESD型のタレントの代表格ということになる。

ESDは、最近の言い方では、デザイン・シンキングのできるシステム・シンカー達といったところであろうか。

従来型のビジネスのプロのそもそもの役割は、主査型CEOの補佐であることが、投資家の間でも理解できる人が増えてきたとも言えるだろう。元々投資家の求めているものは短期の少額のリターンではなく、長期の大きなリターンだったはずだからである。
富は、会社や事業を売り買いすることによってではなく、ESDを中心に富を生み出す仕組み作りによって生まれるという理解が進んでいるとも言える。

トヨタ生産方式とトヨタ流製品開発

かつてMADE IN JAPANと呼ばれた日本の工場での生産管理手法は、いまでは米国でも中国でも韓国でもメキシコでも当たり前のものになっている。TPSと日本的品質管理は取り組んで、やり続けていなければ世界の市場競争に参加する資格もない、お話にならないというだけのものになっている。

トヨタを説明できない日本人

TPSに関する本を読んで書いてあることを全部マネしてみたところで、トヨタのように稼げる会社が作れるわけではない。そもそもトヨタはTPSで儲けている会社ではないのだから当たり前である。
もちろんトヨタの立派な下請けになれるかもしれない。あるいは実際トヨタと取引をするなら、それらの本は購入してしっかり勉強したほうがよい。しかし言うまでもないことだが、TPSを学んだだけではトヨタと競争するような会社を作ることは無理である。

トヨタの製品がなぜグローバル市場で売れ、競争優位を作り出してきたのか。その答えは簡単である。グローバルの消費者が買いたくなるような製品を作り続けているからである。つまり生産ではなく開発にその秘密はある。

TPDとは何か

TDPやリーン開発、トヨタ流の経営は、日本発とは言え、同じ日本人でも、大学の先生達に十分な知識があるとは言えない分野である。あるいは理解するための基礎的な知識が欠落している。トヨタ流経営を研究対象とするべき教育機関は、経済学部でもないし工学部でもない、ビジネススクールでもない、しかし現在の社会では最も本質的な分野の何か、つまり、それこそ「本当の意味での経営学」となっているにもかかわらず、その内容をまともに解説できる人は現状ではほとんどいない。

リーンを知らない日本の経営者達

買収されてもっともだという人もいたし、買収されて正解だったという人までいた。そのくらいに負け組日本企業の経営陣は、「リーン」について何も知らない。
彼は、個々の技術者のレベルは日本人のほうが上だ、と最後に付け加えた。この彼の意見には私も同感である。
彼らの失敗は、優れた日本人エンジニアの持つ能力を世界の市場で受け入れられる商品に変えることができなかったことにある。
東芝の不正会計問題を持ち出すまでもなく、日本の電機・半導体・通信業界の衰退は、エンジニアの能力や技術力の問題ではなくて稚拙なマネジメントにある。

三河の常識は世界の常識

米国では、かつて彼らの国力の象徴であった自動車産業が日本勢に完全に負けた。その屈辱的な敗北をきっかけとして、トヨタ流マネジメントの研究が始まり、その研究成果が、一部の実務家やコンサルタントを通して、半導体やソフトウェア産業に展開されてきた。
もちろん、その内容には不正確、不十分なものも多い。それでも、リーンについて何も知らない、いわば丸腰の日本企業に勝つには十分なレベルにある。彼らは理解して実務に活用しているからである。

日本のグローバル市場での負け組企業は、リーンの概念をまともに理解していない。これは、日本の官庁、教育、医療も同じである。いま停滞している産業やセクターは皆「リーン」とは何かを知らないセクターである。実際、欧米の一部では高騰する医療に対してリーンな考え方を取り入れようというリーンメディカルという動きも出ている。
現在のグローバル市場競争での勝ち組・負け組とは、ざっくり言えば、国や民族ではなくて、「リーンであるか」「リーンでないか」で決まっているのである。

第1章 国道248号線の東と西

成長エンジンのないドメスティック企業

もっとも、それは会社を存続させるためには、早晩やらなければならなかったことである。その意味で現経営陣は、過去の経営陣の無策と無責任による失敗の後始末をしっかりやっている。しかし現状では、日立を凋落させてきた本当の問題は何も解決されていない。事業ポートフォリオを組み替えて各事業を整理整頓した後、これから本質的にどう成長していくのかという問題である。

国道248号線の西側には秘密はない

西側のアウトプットは、もちろん生産され出荷される製品である。保証している品質は、「製造品質」と呼ばれるものである。この製造品質は、製品の設計情報にどの程度適合しているかという意味で「適合品質」と呼ばれることがある。設計図通りに正しく実際の製品が作られているかという程度のことである。
ノウハウで有名なものは、ジャスト・イン・タイムと自動化、カンバン、アンドン、多能工、5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)、QCサークル、VA(Value Analysis)などがある。

国道248号線の東側

西側で行われているTPSに対し、東側では、「トヨタ流の製品開発(TPD)」を行っている。
TPDのアウトプットは、製品の「設計情報」と呼ばれるものである。工学的には「プロダクト・データ」とも言う。物理的には「情報」となる。

東側のTPDで保証している品質は、設計情報の質、つまり「設計品質」である。

TPDで有名なノウハウは、トヨタが1953年に後に会長になる豊田英二氏らが中心となって導入した主査制度である。また主査制度の一部とも言える利益計画・管理手法である「トヨタ流原価企画」がある。これは、製品の企画・設計段階から、利益と経済性を検討する方法である。利益を設計段階で作り込むのが「トヨタ流原価企画」である。また、そのための手法として「トヨタ流VE(Value Engineering)」がある。

利益の95%以上は東側のハタラキ

トヨタでは新人で入社するとすぐに、
「売価ー原価=利益」
の関係を教えるそうである。
トヨタでは、売価は変えられない(売価は市場が決める)ので、利益を上げるには、アタマを使って原価を下げるという考え方をする。

売価は市場が決める

「売価は市場が決める」あるいは「売価は、TPDにおいて主査を中心に基本設計者達が製品を企画・設計した段階で決められる価値に対してあらかじめ決まってくる」というのもトヨタ流の考え方のひとつと言っていいだろう。
売価はあらかじめ決められているので、ほとんどの社員の役割は、利益を生み出すためにアタマを使って原価を下げることになる。それで「市場での製品の売価を決めた製品企画の段階から『原価低減』は始まる」という言い方になる。
ちなみにこの、「売価は市場が決める」というトヨタ流の考え方は、日本だけではなくいまでは世界の常識となりつつある。これが「原価意識」または「コスト意識」である。

トヨタはなぜ米国で売れるのか

TPDやTPSなどと言っていくら頑張っていたところで、そもそも企業は製品が売れなければ業績が上がらない。我々に限らず世界の消費者が「価値がある、買いたい」と思い、実際に買うことで企業は業績が上がる。

排ガス規制から安全技術、快適性へ

UAWのロビー活動などにより、官民一体で環境規制を強化することで、GMやフォードなど米国メーカーは、日本メーカーを市場から締め出せると考えていたのである。
つまり、GMやフォードなどのエンジニアは技術的に高い要求をふっかければ、日本勢は基準をクリアできず、自然に米国市場から撤退していくだろうと考えていた。
当時の米国人は、日本車の躍進は、技術力の高さではなく、日本人の工場労働者の賃金の安さによる低コスト体質であると高を括っていたのである。

上がらない価格

クルマの課題は過去半世紀でかなり高度化してきたことがわかるだろう。
しかし、ここで決定的に重要なことが一つある。クルマの商品価値はどんどん進化してきた。それにもかかわらずクルマの「値段」はどうだろうか?じつは「値段」は、半世紀前から上がっていないのである。

当たり前の話だが、買い手は時代に合わせた、それぞれの使用目的やニーズ、欲求に最も適合した商品を選び、買っているのである。
つまり、この「商品性」に価値を感じて買っている。作り手側は、この「商品性」(価値)を満たす製品を企画・設計・製造・販売している。

設計品質とは何か

「設計品質」とは、言ってしまえば、我々のニーズをどの程度満たしているか、その度合いのことである。
一方の製造品質とは、TPDで作られた設計情報が、どれだけ間違いなくコピーされ、量産されているか、ということである。量産工場で新しい性能・機能が作られたり製品価値が上がったりしているわけではない。量産工場ではそんなことはしてはいけない。間違いなくコピーすることが仕事なのである。

豪華な装備と目新しい技術で値段の高いクルマを作ることは、それほど技術的に難しいことではない。機能・性能・価格が豪華になるにもかかわらず、普通の人が買える価格の商品を開発することが難しいのである。

第2章 知識化する「ものつくり」

「ものつくり」の意味の変化

機械化が進んだいまでは、実際の生産現場ですらも、激しい肉体労働の部分はもはやほとんどない。ましてや述べてきたように、生産現場以前の開発段階で「設計情報」をアウトプットするまでが、グローバル競争の勝者と敗者を決めている。

経営学者ピーター・ドラッカーが繰り返し言ってきたように、いまでは、同じ「労働」でも人間のアタマにある知識を活用する活動や新たな知識を生み出す活動がより大事な「労働」になっている。

IMVP

MITは、五年間で五億円の予算をつけ、IMVPというプロジェクトができた。1990年にその成果物として『The Machine That Changed the World』という本が出版された。
当時MITに籍を置いていたジェームズ・P・ウォーマック博士がこの著書の中で、トヨタ生産方式をリーン生産方式と名付けたことで、後に、リーンはトヨタを意味する言葉となった。

アレン・ウォードとリーン開発

米国のトヨタ研究者は、TPSはフォード型の大量生産ではないのに利益が上がることを「トヨタのパラドックス」と呼んでいた。その後、実は生産だけではなくて、製品開発も従来の米国の一般的な方法とは異なるやり方で行われていることをウォードらは”発見”したという。そこでTPDを「第二のパラドックス」と名付けた。
ウォードはTPDを調査したのち、ミシガン大学を辞め、TPDの研究成果を「リーン開発」と名付け、コンサルティング業を始めた。

限られたTPDの情報を元に試行錯誤しながら、トヨタに近づこうと努力した人達がいたということである。
その結果、ボーイングやフォード、また類似業種のハーレーダビッドソン、序章で述べたスチールケース社など、多くの米国企業では、まずTPSが採用され、次にTPDの導入が試みられていったわけである。いずれの会社も競合他社や類似業種が経営破綻する中、ITのバブル崩壊やリーマンショックを乗り越えて生き残ってきた。

シリコンバレーへの展開

トヨタ式の研究はソフトウェア開発のぶんやではリーンやアジャイル・XP・カンバンなどと呼ばれてシリコンバレーで展開されるようになった。
シリコンバレーに見られるようなソフトウェアやファブレス型半導体産業、クラウドサービスのような会社には元々工場はない。つまりそうした会社には「設計情報の想像」があるだけで「設計情報の転写」プロセスがない。成果物は有形の財ではなくて、ソフトウェアやサービスのような無形の財、情報財だからである。

第3章 主査制度とは何か

主査を担う人材

組織の形だけを見ると、主査制度は普通のマトリックス組織の横串機能ではないかという人がいる。一般的には、部門横断の横串機能というと各専門部門の連絡役を思い浮かべる人が多いのかもしれない。つまり横串機能とはメッセンジャーボーイ、とりまとめ、調整役というイメージがある。しかしそのイメージは主査の実態とは正反対ということになる。
たとえば、いまのトヨタ自動車の会長の内山田竹志氏は初代プリウスの開発担当主査である。メッセンジャーボーイや調整役などではなく、開発のリーダーである。

大主査・中主査・少主査

大主査は中村健也氏や長谷川龍雄氏などである。彼らは技術の蓄積が十分ではない状況で、画期的な新製品の開発を指揮・指導した強力なリーダーである。

大主査とそれ以外の違いは、ホームランを間違いなく打つ大打者と、ホームランではないがヒットは確実である人の差のようなイメージである。トヨタであっても、時代を先取りした新製品・新技術が開発できる大主査タイプのタレントを今後どれだけ輩出できるかが大きな経営課題ではないだろうか。主査制度の仕組みは重要だが、得られる結果の上限は、所詮、関係するタレントの能力の上限で決まるからである。

製品価値をどう決める

主査はまず、製品のコンセプトに相当する、「主査イメージ」と呼ばれる構想書を作成する。これが第一段階目のアウトプットになる。主査は次のように各部門からの情報を入力して構想を練る。
その際には商品企画部門、またその下にある国内企画部門と海外企画部門とともに主査は生み出す製品の構想を協議する。

結局、開発にまで至る設計情報が経済的に価値を持つのである。そのためには、設計情報を作るための実現手段や、知識を持った人材のアタマの中を理解して活用できる人でなければ、絵に書いた餅が、実際に餅になるのかがわからない。

トヨタでは商品企画が考えたアイデアをそのまま形にすることが主査の仕事ではない。必要とあれば想定される市場に実際に出向き、ときには一緒に生活をして、あるべき姿の製品を考えることになる。

レクサスの事例

トヨタは北米向けに過去に販売していたマークIIをベースにしてクレシーダの後継車種を考えていた。北米の販売チームは、トヨタカローラなどに乗っていたユーザーが会社で昇進したり、収入が上がると、トヨタ車からドイツの高級車に買い換えてしまうことに頭を悩ませていた。
そこで、米国の販売チームは、ドイツの高級車、具体的には、メルセデスやBMWに対抗できる商品の投入を求めていた。

鈴木氏は早速米国に出かけ現地現物で市場調査を開始した。高級住宅街に引っ越し当時ヤッピーと呼ばれていた、いまでいう若いセレブ層の人達と遊んだりしながら、ドイツ車のどこに魅力があり、またどこに不満があるのかを観察した。

こうした活動は新製品開発の際には当たり前のように行われる。設計者が想定される買い手と価値観や世界観を共有するわけである。その上で「価値」を決める。

VEと低コスト化技術開発

優秀なプロフェッショナルやスペシャリストばかり集めても売れるものができない、という企業は多いが、それは、設計情報と技術の関係がわかっていないからではないだろうか。アナリシスしているだけでは、経済的な価値は生まれないのはわかるであろう。シンセシスされてはじめて価値があるし、価値を生み出すためによりアナリシスすべき事柄がわかる。

機能別管理と会議体・委員会制度による横串機能

量産立ち上げ時には、主査グループと設計者と生産技術・生産管理の担当メンバーがスムーズに立ち上がるように工場内で一緒に作業をする。

サイマルテニアス・エンジニアリングの目的は、あくまでも設計品質の早期確保である。また量産のスムーズな立ち上がりを行うために関係者が集まっているだけである。外から見るとすりあわせや調整業務をしているように見えるというだけで、無目的に「すりあわせ」をしているわけではない。

トヨタの機能別管理を著書『日本的品質管理』で紹介している石川馨教授によると、日本企業も欧米企業同様かつては「のれん」のように縦割でセクショナリズムが強かったそうである。トヨタでは、全社で品質を保証するために上手に横串機能、機能別管理を発達させたとある。

TQMの「機能別管理」、会議体、委員会など、特に豊田英二氏らのリーダーシップで取り組んできた横串組織の活動、すなわち、横串の会議体、委員会、前工程と後工程の連携は、日本人だけではなく外国人でももちろんできる。TQMは、設計品質を確保し、製造品質を確保する。TQMはそのためのマネジメントである。
自動車とは違い、パソコンやスマホ、半導体のようなデジタル製品ではすりあわせ力が生かせないので日本企業は弱いなどという議論があったが、それも的が外れていて、パソコンやスマホの設計情報は、すでにインテルやクアルコムのような会社を中心に設計済・企画済であり、日本の家電メーカーはその転写のみ担当している。儲からないのは当たり前である。

大学の先生達は人に教える前に、まず「製品開発・設計」「生産管理」「生産技術」について基礎的なところからしっかり勉強する必要がある。またこれは、特定の技術分野にしか知識のない工学系の大学の先生達にも同じことが言える。技術は商品性につながってはじめて経済的に価値がある。いずれにせよ、イノベーションとかリーンとかデザイン・シンキングとか念仏のように言っているだけで、肝心の本人達がなんのことだか実のところはよくわかっていないような大学の先生達が多い。

成功する主査制度運用の肝

Aクラスの人材ネットワークを切らさずに、目的に合わせた主査型のタレントを抜擢し続けるような人的仕組みを持つことが、成功する主査制度運営の肝である。

主査制度を導入する時に最も障害になるのが、組織文化である。
組織文化とは、一口に言ってしまえば、「誰が偉いか」ということである。たとえばスティーブ・ジョブズにしても、トヨタで成功してきたかつての大主査にしても、人間的には少し変わり者が多い。スティーブ・ジョブズはバランス感覚がないので、自分が創業した会社から一度解雇されているほどである。もっとも、バランスが取れている人間にはそもそも、これまでにない新しい価値を創造することは難しいのかもしれない。
そうした人達のタレント性を純粋に評価し、尊敬する組織文化を作る、あいつが言っているなら、間違いない、「あの主査は人間的には大嫌いだが、彼の目指すところのために頑張ろう」という雰囲気を作っていくことができないと成功する製品開発は難しい。

優れた製品の社長、主査型の人材を、会社の運営の実質的な中心に据えないと、グローバル市場で勝ち続けることは難しくなっている。

第4章 売れないモノの基礎研究はしない

R&Dの区分

将来、商品性向上のための研究開発ニーズは、車両担当主査のいる製品企画室や、技術開発担当主査が在籍する技術企画室などから、設計部門を経由して、社内外の各研究機関に提示される。
また、具体的な研究開発テーマは、設計部門などから技術企画室や製品企画室に対して自主的に提案されるケースも非常に多い。トヨタの研究開発活動は、強力なニーズ志向である。

プリウスやミライはどう生まれるのか

「価値を生み出す手段となる技術」に関しては、もちろん、設計情報を作っているシステム設計者が一番わかる。研究のニーズがわかるということである。
システムのどの要素がどの水準までよくなれば最終製品がこういう価値を持つであろうということがわかれば、どこを努力していけばよいかわかる。また主査の要件で説明したように、そうしたタイプの人材は、各分野の知識を深く持っている。

NTTがうまくいかないのは、彼らは、システムや設計情報ではなく、細かい要素技術中心でボトムアップから研究開発をしているからである。組織が細かいサイロのようになってしまって最終的に自分達の研究成果がどういう財やサービスに結びつくのかよくわからずムダにカネばかり使っているということになってしまう。

トヨタ流「設計者」

各分野のアナリシスとともに、経済的に価値のある単位の設計情報へシンセシスする能力もある人達が中心となって新規の価値創造を主導する。
こうした人材は数も多くないし、成果は完全に質なので、実務上は、兼務が多い。

結局、技術企画も技術管理も主査も技術担当役員も、技術を製品価値・商品価値にできる人、アナリシス・シンセシスできる人が兼務する仕組みになっている。そういったアナリシス・シンセシスができるタイプの人材がそれぞれの分野に強みや弱みはあるにせよ、似たような人達が集まってグループをつくっていると言える。

第5章 TQMと主査制度

トヨタではTQM=マネジメント

TQMの中の一部にQCサークルがあるという位置づけである。QCサークルとは、現場でカイゼン活動を行うための自発的な活動のことを言う。
TQMとはマネジメントそのもののことであり、トヨタでは1960年代にデミング賞受賞を目標とした品質向上活動をきっかけに、QCを全社活動に展開し、いまでは全系列企業に展開している。

日本では経営学は経営学科、TQMは工学系で担当してきた。経営学は欧米の経営学を翻訳して日本で広めるのが主な役割で、一方TQMは日本独自のものに発展して、逆に欧米企業がマネするということになった。欧米人が評価してはじめて、経営学部がTQMの内容もわからず後付の説明を加えては調べているというおかしな事態も見られた。

流石に石川教授らも「かめばかむほど味がわかるQC」「MMK(儲かって儲かって困る)」のQC」などと言っているので、確かに結果からいけばうまくいくのであるが、なぜ会社が儲かるのか、理論的・経済的な観点から説明されていなかった。

TQMと三つの情報資産モデル

よいプロダクト(買い手のニーズに適合する設計品質)を生むために、よいプロセスを作る。

トヨタに関して言えば、トヨタ自動車の前身のトヨタ自動織機の創業者である豊田佐吉氏以来の伝統である「人材・技術・頭脳がすべて」とは、三つの情報資産を生み出すということに他ならない。
欧米の経営学は元々石油や小麦のような古い財を対象としたもので、新しい財、つまり複雑な人工物、設計物の財を対象としたものではないので、私が前著や本書で説明したような現在先進国で本質的な資産である「無形資産」をきちんと取り扱う体系がない。

アップル社はメーカーだが、直接労務費の発生する量産工程は中国の製造請負メーカーに任せている。間接費を削減したら、アップルという会社本体がなくなることはわかるであろう。

「米国勢はああいう連中の言うことを聞いたために勝手に自滅したのだろう」と言っていた。結局彼は、「自分のアタマで考えなかったライバルメーカーが自滅した」ということを言いたかったようである。

主査制度は設計品質を確保するための制度

トヨタでは部門を横断する、横串の機能が重視される。
部門横断的な、様々な会議体、委員会組織が作られる。そういう意味では主査制度も、車両開発の横串組織である。豊田英二氏はことあるごとに、この部門横断組織の重要性を強調し、部門のトップは、部の利益代表ではなく、部門同士をつなぐ役割であると強調していた。

方針管理と目標管理の違い

欧米の目標管理は、プロセスは人のアタマに記憶されるだけになるので、担当者が転職してしまうと、プロセス情報が失われる。社内には、成功にせよ、失敗にせよ結果を出すためのプロセス知識が残らないので、結果的にムダが多い。
TQMでは、三つの情報資産を本質的な資産と見ているといってよい。同じ「マネジメント」でも何を資産として見るかで変わる。

TQMにおける「管理」とは

管理するためには、やはり、「情報と実態が一対一」になっている。
TQMの管理や管理技術は工学からきているので、経営学の人達は誤解しやすいので注意が必要である。うまくいく状態を管理することである。

なんでも文書化:標準は作り替えられ続ける

文書化をすると、官僚化・形骸化して人の創造性が失われる、という人がいるが、ここでもTQM的な「管理」の意味がわかっていないからこうした誤解が出やすい。
「現状の水準」を標準化して「管理」された状態からカイゼン・改革して、価値がどれだけ上がり、原価がどれだけ下がるか、ということをつねに行っているわけで、「管理された状態」からカイゼンすることで、より良いプロセスを生み出す。

文書をつくりその標準を遵守するが、より良い方法・考えが見つかればどんどん試行して実体を改善していく。試行錯誤を経て良い結果が得られれば、より高い水準にカイゼンされたプロセスを新たに文書化して標準化する。そのため形骸化も起こらない。そもそもTQM的に管理されている組織で、「標準類が更新されていない」ということは、働いている人のアタマの「ハタラキ」がないということなのである。つまり、現代的な意味では「付加価値を生む仕事をしていない」のと同じである。

「管理者」とは、三つの情報資産を管理・カイゼン・改革して作り出す人であり、管理技術者とはその技術がある人のことを言う。TQM流ビジネスマネージャーのことを管理者とでも考えておけばよい。
日本企業でも米国企業でも必要なのは、このTQM的な意味での管理者である。

ライカー教授の指摘通り、トヨタをはじめTQMを実践している会社は、有機的な成長をしている。TQMが生み出している価値とは、実は、三つの情報資産のことなのである。トヨタ的な意味でのマネージャー、つまり管理者とは、その三つの情報資産創造をリードする人のことである。そしてこれが、現在では、国を問わずほとんどの産業で必要とされている本来の意味でのマネージャーの定義である。

TQMと三河人

危機を利用して組織に緊張感を持たせ、さらに組織を強くする管理手法は、三河地方の伝統文化かもしれない。
自立主義で自分のアタマで考える、名より実を取る、ということは、おそらく地域の歴史からできてきた文化なのではないか。TQMと三河の気風はよくあっていたのかもしれない。生み出しているものは有形なものにみえて、実は無形なモノなのである。

第6章 トヨタを支える系列

じつはぼろ儲けの系列

最近、多くのコンポーネントメーカーの社長達の最大の悩みは「何を」作ればよいかである。会社の資源をどこに注ぎ込めばよいのかわからない。会社としてアナリシスはできるが、シンセシス先のシステムがわからない。
ところがトヨタの系列にはその悩みがない。

トヨタと系列会社で共同開発する際には、トヨタ側でまず仕様をだいたい定めてくれた上、試作車に試作品を搭載し、トヨタのテストコースで試験までしてくれる。さらに試作品は全部そのまま買ってくれる上、支払いは現金である。なかなかこれだけうまい話はないことはわかるであろう。

同じ電子部品でも、砂漠から寒冷地までどこでも使われる自動車に搭載される場合に求められる要件は、家電製品の場合とは変わってくる。こうした搭載するシステム側の知識を理解できる人を中途で雇いたいというニーズは外資系のサプライヤーには特に多い。何を作ったらいいのか、どの性能を追求したら買い手のニーズに適合するのかわからないからである。

同じ価値の製品なら、定期的に安くならないとエンジニアのアタマのハタラキがない(カイゼン努力が足りない)という仕組みになっている。

トヨタで勉強して他社で儲けるという構造だが、実際は、三つの情報資産の創造を、トヨタと関係することで行うようになるので、本質的な資産を蓄積しているのである。それで儲けることができる。

トヨタは自社でできるものだけ外に出す

トヨタでも他社同様、複社発注というものも行われる。またデンソーに出しているようなものも、自社で設計・製造ノウハウを維持するために内製をしている。
目的は、三つの情報資産の蓄積のためで、自社にノウハウのないものを他社に任せれば「管理不能」な状態になる。特にコア技術に関しては「中でやる」というのが豊田喜一郎氏以来の伝統である。丸投げはしないということである。

第7章 トヨタ流を支える企業文化

人中心ではなく仕事中心とは?

「人中心でなく仕事中心」というのは、「人の立場や顔中心、あるいはハタラキのない人間の立場が中心ではなくて、付加価値を生み出す仕事に対して人間が能力に応じて求められるハタラキを生み出しているか」が中心という意味である。
社長や部長の立場や顔を立てることではなくて、買い手にとってこれしかないという価値のある設計情報やそれを高品質で経済的な手段で実現するプロセスの創造に貢献しているか、ということが優先されるということである。

人間で作る組織である以上感情のもつれもあるし、人の問題は結局一番難しいところではある。ただ組織を付加価値を生み出すシステムと見た時には、「人中心ではなく仕事中心」で決定できる組織でなければ、組織そのものが最終的には衰えてなくなっていく。結果人も大切にできないということになる。

「甘えの和」「堕落した和」「無責任の和」といったように、「和」の意味を、そのときどきで都合よくすり替える人や会社は多く見られる。結果「和をもって倒産」「和をもって業績低下」に至る会社もよくある。ちなみにこれは日本人の割合の多い組織に特有の現象であり他国の会社ではあまり見られない特異な現象である。

役所や医療、非営利組織、あるいは独占企業の場合は首切りに至る前に組織の維持のために、製品やサービスの売価・値段を上げる、安易に税金を引き上げるということになりがちである。しかしそれは、ハタラキのない人と組織の不経済を結果的に消費者が負担することで、みんなの可処分所得が減少し、社会が貧しくなることにつながる。
たとえば、東京電力やNTTや医療関係業界の不経済はその典型であろう。早急なカイゼンが求められる。どの組織もQC的な意味での管理やリーンを導入する必要がある。

「ハタラキ」という概念がある地域性

『リーン・スタートアップ』の著書であるエリック・リースは、「売れないモノを作るのは犯罪である」という古くからの三河の常識を、「誰も買いたがらないモノを開発してしまう悲劇を回避しよう」という上品な言葉に直して、リーンを解説している。

新規のプロダクトにしてもプロセスにしても開発に成功するのは、多くの失敗を経た後が当たり前である。失敗も「どうすればどのように失敗するか」という情報を残しておけば後に続く人が同じ間違いをしなくても済む。失敗情報ももちろん経済的に価値がある。

トヨタの弱みは何か

前著『タレントの時代』を読まれたトヨタOBの方を中心に多くの感想を頂いた。
前著に書いた内容について「80%は賛成で、20%については私に言いたいことがある」という方々もいた。20%の中身はそれぞれの出身部門によって違うが、興味深いことをおっしゃる方達が多かった。
共通して多くの方が指摘していたのが、トヨタの「人材の小粒化」問題である。

未来のクルマを開発していける大主査タイプの人材をどのように見つけて育てていくのかを考えると同時に、あるいは小粒な人材だけしかいないことを前提として、小粒な人を大勢組み合わせて、組織として成果が出せるように変えていかないといけないのではないかという人もいる。

スパイラルアップを続けていかないと、いつまでも成功し続けるというわけにもいかないのは明らかである。QC的管理を続けることで、「変化し続けることが良いことだ」ということがトヨタのそもそもの仕組みで、それがいわば「トヨタの塊」みたいなものである。その魂を失った時は、トヨタのような会社もまた終わる時、ということになる。

終章 トヨタになるには

売れるモノを作るとは

「酒井さん、見てくださいよ。うちの工場は完璧なのです。完璧なトヨタ式です。一個流しも実現したし若手も技能を向上させている。タイ人に日本人がスキルで負けちゃいけないですからね。○○大の先生の本をみんなで勉強したんです。うちは製造工程はどこにも負けていない。完璧なんですよ。でも解決できない問題が一つだけあるんです」
「問題ってなんですか?」
「それは製品が売れないことなのです」
「売れないものを高品質で作っても意味ないじゃないですか。売れないものを作るのは犯罪ですよ」
「酒井さん、それを言っちゃおしまいだ」

ちなみに、このやり取りをした「売れないモノを高品質で作っていた」工場は会社ごとすでに存在していない。

人の脳みそから生み出すもの

工学的にプロダクト・データとか設計情報とか呼んできたものと、それを生み出すために調査し、企画・設計・試作・試験・生産準備・製造・販売・サポートをするプロセスは、経済学的には、情報資産である。またそれらを生み出す、仕事中心の人間の脳のハタラキこそが富の源泉である。
TQMの考え方に加え、主査制度に基づくTPD、大野らが進めたTPSはそのためのテクニックである。人間の創造性を経済的な価値に結びつけるための方法である。
目的的創造性こそが、「富の源泉」であり、技術そのものや、技術開発はそのための手段である。

27兆円を生み出す論地が原の経済は、昔もいまもこれからも、「人間の創造性」を「経済的な価値」に変換したものである。
結局本来の意味での「マネジメント」とは、人間の持つ知恵と知識と創造性を、組織的に経済価値に変換することなのである。

グローバル化した経済の富の源泉は、人間の持つ目的的な創造性と「タレント性」である。「結局最後は人」である。それを設計情報やプロセス価値に結びつけることこそ、マネジメントに他ならない。いまは、人間の創造性に基づく経済、タレント・エコノミーの時代なのである。