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レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体 〈上〉 トーマス フリードマン |
第1章 冷戦後、ストーリーなき世界¶
世界で一番若いこの経済ーグローバル経済ーがいまだに居場所を探しあぐねているのも、無理はありません。経済を安定させる複雑な抑制と均衡の仕組みは、時間をかけて作り上げるしかないものだからです。
グローバル化には一連の、独自の経済法則がある。経済の解放、規制緩和、民営化を中心に据えた法則だ。
冷戦システムとは異なり、グローバル化には独自の支配的な文化があって、それが世界の均質化を推し進めている。
冷戦の世界に特徴的な思考形態が"分割"なら、グローバル化に特徴的な思考形態は"統合"である。冷戦システムの象徴が人々を分断する"壁"なら、グローバル化システムの象徴は、人々を結びつける"ワールド・ワイド・ウェブ"。冷戦システムに特徴的な文書名が"条約"なら、グローバル化システムに特徴的な文書名は"取引"だ。
第2章 レクサスとオリーブの木¶
グローバル化は冷戦システムに取って代わる国際システムだと認識したからといって、今日の世界情勢を説明するのに、じゅうぶんだろうか?とんでもない。グローバル化は新しいシステムだ。世界がマイクロチップと市場だけで成り立っているのなら、グローバル化を語るだけで、おそらく世のなかのすべては説明できるだろう。
世界の国の半分は冷戦を抜け出して、よりよいレクサスを作ろうと近代化路線をひた走り、グローバル化システムのなかで成功するために躍起になって経済を合理化し、民営化を進めている。ところが、世界の残り半分ーときには、ひとつの国の半分、ひとりの個人の半分、ということもあるーは、いまだにオリーブの木の所有権をめぐって戦いをくり返しているのだ。
わたしはこのオリーブの木を手中に収めなければならない。なぜなら、もしあいつの手に渡したら、わたしは経済的にも政治的にもあの男の支配下に置かれるばかりか、これぞわが家という幸福感を二度と味わえなくなる。もうけっして、素足になってリラックスできなくなるのだ。
故郷にいる、どこかに帰属しているという思いがなければ、寄る辺のない不毛な人生になるからだ。根なし草のような人生など、人生と呼べようか。
レクサスは、今日、私たちがより高い生活水準を追求するのに不可欠な、急速に成長を遂げる世界市場、金融機関、コンピュータ技術のすべてを象徴している。
今、わたしたちが目にしているもの、探しているものは、はるか創世記の時代からいささかも変わらない人間の欲求、すなわち物質的向上を求める思い、個人や共同体のアイデンティティを求める思いが、今日を支配するグローバル化という国際システムのなかで発現したものなのだ。これが、レクサスとオリーブの木のドラマである。
グローバル化経済システムには、目前のオリーブの木をことごとくなぎ倒して壊滅させるような強烈な勢いを、レクサスに与えるという一面がある。
わたしは自分のノルウェー人としてのアイデンティティを捨て、ユーロという名のフード・プロセッサーにかけることにする。すると、それは、ユーロドルで給料を受け取るユーロ官僚の手でマッシュド・ユーロになって、ユーロの首都のユーロの議会でユーロ・ジャーナリストの取材を受けて記事になる。おいおい、ごめんだね。
面子をつぶさずにオリーブの木から降りる道を模索し始めた。オリーブの木にのぼったために、世界で二番めに人口の多いこの国は、経済的な面で金縛りに陥ったからだ。
レクサスのない国は、成長を望めないし、大した成功も望めない。健全なオリーブの木のない国は、世界に向けて完全に開かれた国になれるほど深く根を下すことはできないし、安定も望めない。とはいえ、この両者のバランスを保つには、たゆまぬ努力が必要だ。
第4章 情報免疫不全症候群¶
量産品とは、どこのどんな会社でも製造、提供することができ、競合会社のあいだに見られる相違が値段にしかないような製品、サービス、プロセスを指す。
どこから競合相手が現れるかが皆目わからないこの世界では、少しでもスピードの遅い会社、コストのかかりすぎる会社は、自分が何に轢かれたのかもわからないまま、路上に屍をさらすことになるからだ。
チームがグラウンドに出ているとき、フィールド全体を見渡せるような、よき監督になれる人物を雇う必要がある。会社のリーダーであるわたしは、こういう監督たちがみな、会社の文化や価値や戦術について教育を受けて、収集する情報を評価するための背景知識を身につけ、情報が会社の進路に沿っているのか反するのか、すぐに判断をつけれるようにしなくてはならない。
文化大革命のあいだに希望を失うことはなかったかと尋ねると、劉は、中国のことわざでこう答えた。「太陽を遮れる手などない」
第5章 黄金の拘束服¶
ほかのシステムのほうが、所得の分配、共有という点では、効率的で公平かもしれない。しかし、その分配すべき所得を、自由市場資本主義ほど効率よく生み出すシステムはない。そして、そのことに気づく人の数は日増しに増えている。
残念ながら、この”黄金の拘束服”には、サイズはほぼひとつしかない。だからそれが窮屈なグループもあれば、窮屈を通り越して体に食い込んでいるグループもあるという状況で、社会は、絶えず経済制度を合理化し、絶えずその性能をアップグレードするよう、圧力をかけられることになる。もし、この拘束服を脱ぎ捨てたなら、競争でまたたくまに落ちこぼれる。しかし正しく身につければ、たちどころに追いつくことができる。拘束服は、いつも見栄えや肌触りや着心地がいいとは限らない。しかし、歴史の中の今というシーズンに、唯一、棚に並ぶモデルは、この拘束服なのだ。
第9章 あなたの国は大丈夫か?¶
富を得る鍵が、国がどのように領土を獲得して、所有し、搾取するかである世界から、国または企業がどのように知識を蓄積して、共有し、収穫するかである世界へと、移行している。
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レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体 〈下〉 トーマス フリードマン |
第10章 戦争とマクドナルドの不思議な関係¶
ある国の経済が、マクドナルドのチェーン展開を支えられるくらい大勢の中流階級が現れるレベルまで発展すると、そこはマクドナルドの国になる、と規定する。マクドナルドの国の国民は、もはや戦争をしたがらない。むしろ、ハンバーガーを求めて列に並ぶほうを選ぶ。
「人は激情にかられて邪悪になりがちだが、それにもかかわらず慈悲深く高潔であることが自己の利益になるような状況に置かれているなら、その人は幸せである」
グローバル化は、名誉、恐怖、利害を理由に戦争を始めるときの代価を引き上げるとはいえ、これらの本能のどれひとつとして退化させる意図も能力も持たない。そう、世界を形作る主体が、機械ではなく、人間であるかぎり。まだオリーブの木が重要であるかぎり。そして現在、オリーブの木は重要であるし、今後もそうあり続けるだろう。
ベトナム戦争で空爆だけでは効果がなかったのは、すでに石器時代の暮らしをしている人々を、空爆によって石器時代に戻すことはできないからだ。だが、ベオグラードでは効果があった。ヨーロッパや世界に統合されている人々を、空爆によって仲間はずれにすることができるからだ。そして彼らは、それを望まなかった。
いつか、イランの油田が干上がるか、あるいは世界が代替エネルギーを発見するだろう。そうなったとき、アヤットッラーたちは黄金の拘束服を身につけなくてはならない。さもなくば失脚する。
第11章 持続可能なグローバル化¶
南フランスの長所は、文化の保護に真の価値を認めた政策に基づいている。小区画の耕作を支持して村々を今のままの姿に保つという欧州共通の農業政策と、そのための移転支出に基づいているわけだが、その理由のひとつには、これらが文化的な豊かさの根源だと見なされていることがある。わたしたちは、このような、自分の文化を守る社会的安全網を必要としている。
ピラミッドや、考古学的遺跡や、特有の地域を保護するのに最善の方法は、場合によっては、保護がその周辺住民にとって利益になるように仕向けることだろう。
第12章 勝者がすべてを手に入れる¶
それは”ひとり勝ち”の現象ーつまり、今日のどんな分野でも、勝者は、大規模なグローバル市場に売り込めるおかげでがっぽり儲けられるが、一方、ほんの少しばかり能力の劣る者や、まったく技能のない者は、地域市場での販売だけに限られてしまい、結果として儲けがはるかに少なくなる、という現象だ。
今は経済が非常に好調なので、全員の生活が向上している。だが、不平等はこの三十年間で急増し、もはや見過ごせなくなっている。新聞の風刺漫画において、ビル・ゲイツはおたくの英雄から弱い者いじめの独占者へと変貌したーまさにロックフェラーがたどった道だ。
第13章 グローバル化への反動¶
スバルの人たちは事情を察し、どんなことがあってもバターン・ハイウェイを”スバル・ハイウェイ”に変えてはいけないと言ってくれました。そのときから、地元住民は日本人に心を開き、受け入れられるようになったのです。
第14章 うねり、または反動に対する反動¶
グローバル化の蛮行、抑圧、挑戦に対する反動とともに、グローバル化の恩恵を求める人々のうねりがあることを、つねに心に留めておかなければならない。この大きなうねりの推進力となるのは、グローバル化に痛めつけられたが、それでも立ち上がって、土を払い落とし、グローバル化のドアをふたたびノックして、システムに入れてくれと求める数百万の労働者たちだ。半分でもチャンスがあるなら、亀は亀のままでいたいとは思わないし、置いてきぼりにされた人々はそのままでいたいとは思わないし、無学の人々はもっと何かを知りたいと思うだろう。彼らは、ライオンかガゼルになりたいと望む。グローバル化システムを破壊するのではなく、そのかけらでもいいから手に入れたいと思うのだ。
今日のグローバル化システムにおける勝者が空高く舞い上がり、それ以外の人々を引き離すにつれ、金持ちと貧乏人の格差が広がっていったが、一方で、世界各地で貧困層の底辺は着実に上昇してきた。言い換えれば、多くの国々で相対的貧困は増えたかもしれないが、多くの国々で絶対的貧困はかなり減っている。
第17章 破壊に向かうシナリオ¶
本書を通じて何か共通項があるとすれば、それは、グローバル化はあらゆるものであり、なおかつ正反対のものでもある、という考えかただ。グローバル化は、信じられないほど権限を与えることがあれば、信じられないほど強制的なこともある。
文化を均質化していく一方で、人がそれぞれ独自の個性をより幅広く発揮することができるようにもする。人々に、これまでよりより熱心にレクサスを追い求めたいと思わせる一方で、これまでよりはるかにしっかりとオリーブの木にしがみついていたいとも思わせる。
日本は、非常に従順な国民を持ち、従わない者には巨大な代価を課していた。従わない者は、強制収容所に送られることはないかわりに、その人たち自身の内なるシベリアへと送り込まれた。
もし日本が永久に沈滞した状態を逃れたいのなら、ちょうど中国やロシアがそうしたように、日本経済の共産主義的な部分を”民営化”しなくてはならないだろう。効率の悪い企業や銀行は引っ張り出されて射殺され、その死んだ資本をより効率的な企業へと移す。
第18章 前へ進む道¶
持続可能なグローバル化のための政治学や地政学や経済地理学を正しく理解できたとしても、もうひとつの、ほとんど雲をつかむような一連の政策も、心に留めておかなくてはなるまい。それには、オリーブの木がわたしたちすべての人に必要だということを理解し、オリーブの木が必ず守られるよう手段を講じなくてはならない。
ある日目が覚めたとき、全能の神がバベルの塔と同じくインターネットをこっぱみじんにしていたとしても、驚きはしないだろう。
健全なグローバル社会は、絶えずレクサスとオリーブの木のバランスをとることができる社会であって、現在この地球上ではアメリカに勝る見本はない。