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道徳のメカニズム

東大理系教授が考える 道徳のメカニズム
鄭 雄一

第二章 過去の道徳思想を解析する

イエス=キリスト
人からしてほしいと思うことを、そのとおり人にもしてあげなさい
ブッダ
生き物を殺さないようにしなさい。そして、殺させないようにしなさい。また、他人が殺すのも容認してはいけません
アリストテレス
論理的徳は習慣にもとづいて生まれる
孔子
おのれにうち克って、礼にかえることが仁である
韓非子
家来が主君の死を望むようになるのは、主君が死ななければ自分たちの権勢が強くならないからであり、主君を憎んでいるのではなく、主君が死ぬことによって自分たちの利益が得られるからである
マキアヴェッリ
たとえばその行為が非難されるようなものでも、もたらした結果さえよければ、それでいいのだ
プロタゴラス
人間は万物の尺度である
ゴルギアス
何ものも存在せず、存在したとしても知りえず、知ったとしても伝えることはできない
エピクロス
善いことや悪いことはすべて感覚に属することである
エピクテートス
神はどこにいるのか?あなたの心の中に。悪はどこにあるのか?あなたの心の中に
老子
善と悪の違いだってどれほどのものだろう。他人が避けることは自分も避けなければ、などというが何と真理から遠いことか
荘子
私の目から見れば、世間の仁義のあり方や、善悪の道筋は雑然と混乱している。その区別をきちんと弁えることがどうしてできるだろうか
デカルト
私は一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない
カント
我々が無制限に善と認めうるものとしては、この世界の内にも外にも、ただ善なる意志しか考えられない
ニーチェ
神とは、われわれ思索する人間にとっては、大づかみな答えであり、まずい料理である
キルケゴール
人間は精神である。精神とは何か?精神とは自己である
サルトル
人間の本性は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである
ロールズ
生まれつき恵まれた立場にある人々は、恵まれない人々の状況を改善するという条件にもとづいてのみ、自分たちの幸運から利益を得ることができる

第三章 道徳の基本原理をモデル化する

「人を殺してはいけない」という決まりの中の「人」は、人間一般を指しているのではなく、実際は「仲間の人間」だけを指している
危機になればなるほど、資源が限られれば限られるほど、仲間の範囲は狭まって、自分にとって、よりコアな重要度の高い集団へと縮んで行くのです
「仲間」じゃない、と思ったとたん、私たちは、犯人に対して普通の道徳は適用しなくなります。現実では、犯人の死刑を許容します。
反省がなければ、私たちを仲間と思っていないということですので、こちらとしても、仲間とは認めず、死刑を許容する方に傾きます。
罪悪感の有無は、主観的であるようで、仲間であるかどうかを測定する優れた方法です。
同性愛の嗜好を持つ子どもが、親から勘当されてホームレスになる例がかなりあることが以前ニュースになりました。親はいずれも熱心なキリスト教徒でした。親たちは、実際には会ったことも話したこともない、2000年前に生きていた教祖の意見を重視し、幼いころから愛し育ててきた子どもを、教祖の教えに背いた者として捨てたのです。
血のつながりは、先ほど述べた養子などの例でもわかるように、必ずしも、それだけめ親しみを保証するものではないのです。
文化を標準化し、そこから外れた者は除くことで、集団の中での考え方や行動の仕方は統一されます。すると、考え方や行動の仕方をよく予測できるようになり、直接出会ったこともない人々も、まるで古くからの親しい友人のような存在となるわけです。
本当の姿が見えにくくなっていますが、「仲間らしくしなさい」という決まりこそが、道徳が本当に言おうとしている内容、道徳の本音であると思います。

第六章 私たちはどう生きるべきか

宗教や国家や民族という、巨大な社会をつくる際に、多数の人間を束ねるのに活躍するバーチャルな出会いは、同時に、仲間でない人々に対する恐怖や憎しみも生み出してしまうのです。
仲間に対する親しみと、仲間でないものに対する恐怖と憎しみは、同じものなの二つの顔なのです。まさに「諸刃の剣」ですね。
外国語の学習ぶりを観察していると、その人の自民族中心主義の程度がよくわかります。いつまでも母国語の体系をひきずっている人ほど、残念ながら自民族中心主義の程度は強い傾向があると思います。
第一に、人間に特有の巨大な社会が、わたしたちにもたらしてくれている便利さや豊かさについて、具体的に考えてみることでしょう。私たちはともすると、あまりに当たり前なために、同じ社会に属する、見ず知らずの赤の他人がもたらしてくれている恩恵の実体を忘れがちです。
第二に、社会の中には、私たちが直接関わっている部分と、間接的にバーチャルな出会いでつながっている部分の二つがあることを、きちんと分けて考えることです。…肥大したバーチャルな出会いの部分ばかりを見て、社会全体を否定するという結果になってしまいます。